ゴーン 海外逃亡!会見 「火のないところに煙はたたない」ゴーン被告が会見で表情変えた場面 日本メディア(3社)/逃亡の経緯語らず失望の声
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記者が目の前で見たゴーン氏会見 日本メディアには笑顔なく

(日本メディアは朝日新聞とワールドビジネスサテライト(テレビ東京)、小学館の週刊ポストとNEWSポストセブン合同、 フジの 安藤優子は…  )

(2004年、ゴーン被告は外国人経営者として初めて、公共の利益に寄与した人に贈られる藍綬褒章を受章しました。その時、ゴーン被告は「私が、日本社会と日本の自動車産業の一部になったと実感している」とコメントを発表していました。)
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記者が目の前で見たゴーン氏会見 日本メディアには笑顔なく

  1月8日22時(日本時間)からレバノンで行われた、日産の元会長カルロス・ゴーン氏の記者会見。注目を集めたこの会見には世界から約80媒体のメディアが参加したが、その中で日本メディアは朝日新聞とワールドビジネスサテライト(テレビ東京)、そして本誌・週刊ポストとNEWSポストセブン合同の現地取材班の3媒体のみだった。本誌現地取材班の1人、ジャーナリストの宮下洋一氏は会見をどう見たのか。会見が行われたレバノンの首都・ベイルートからリポートする。



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 あっという間の2時間半だった。140人にも及ぶ記者たちがゴーン氏に詰め寄り、会場はカオス状態だった。この熱気は半端なかった。とにかく熱く、会見が続くにつれゴーン氏の顔もはっきりわかるほど上気していった。

 ゴーン氏が日本の司法をバッシングすることは、最初から予測できていた。会場に詰めかけたフランス、地元レバノン、アメリカ、イギリスをはじめとする海外メディアの報道陣は日本の司法に対して批判的な考えもあるからか、ゴーン氏に同情するような表情を見せる場面もあった。

 例えば、レバノンの報道陣はゴーン氏の地元愛を聞くたびに笑顔を作り、時折、拍手をし、日本での検察や司法制度に対して納得していない様子だった。彼らが会見の話を聞きながら寄り添うような姿勢を見せると、ゴーン氏はより強くトーンを上げて、嬉しそうに答えていた。

 フランスのメディアも、日本の司法制度の“被害者”だと主張するゴーン氏に同情を込めたような質問をする記者がいた。日本の司法に対しゴーン氏がどう思っているかについて、質問が次から次へと出てくる。そんなフランスメディアの質問が出るたびに、ゴーン氏は笑顔を見せた。

 フランスの大手テレビ局の質問が来れば、「オー、LCIか!」とニコリと笑って、長々と答えていた。彼の表情は、まったく疲れていなかった。解放感に溢れるこの状況で、むしろ生き生きとしているように見えた。やっと自らの思いを世界の報道陣を前に話ができるという気持ちが前面に出ていた。

 一方で、ゴーン氏が眉毛を歪めるほど険しい表情をする場面もあった。

 イギリスの記者が「火のないところに煙はたたない」と、皮肉混じりのトーンで日本を逃れたことについて聞かれたところ、声を大きくして弁明する場面もあった。

 もしかしたらゴーン氏は、ここに集まる全員が味方になってくれると思っていたのだろうか。そのために報道陣を選んだのだろうか。質問するメディア側があまり彼の話に乗ってこない場面では、ゴーン氏のジェスチャーは大きくなっていった。そして日本の司法批判を繰り返し、要所要所でキャロル夫人への愛情を口にしていた。

「愛するキャロルに会いたかったんだ……」

 最前列に座っていたキャロル夫人の横に移動していた私は、夫の愛情の言葉を聞くたびに、両手の指を絡める反応をしたり、微笑む表情を作ったりしている様子を見ることができた。

 質疑応答が進むにつれてヒートアップし、世界中から集った記者たちの側も、もう当てられる順番はどうでも良くなっていた。当てられていないのに立って質問を始める者もいれば、何人も同時に話し出す者もいた。ゴーン氏は「待ちなさい、待ちなさい」と困惑していたが、瞳の奥には笑顔も見えていた。

 私も順番が来る前にマイクを渡されたので、わざと立ち上がって質問した。ゴーン氏が私を見ていたことがわかっていたからだ。

「この会見の場に日本のメディアがそれほど多く集っていないことに驚いている。なぜ一部のメディアしか招かなかったのか。それと、独房での生活について少し詳しく教えていただきたい」

 私がそう尋ねたとき、ゴーン氏の表情は険しかった。興味深いのは、我々日本のメディアに対しては、ほとんど笑顔を見せなかったことだ。眉間にしわを寄せ、終始、厳しい表情で訴えていた。私の質問には、「私は日本のメディアを差別しているわけではない。また、日本のメディアだけ締め出したわけでもない」「正直に言って、プロパガンダを持って発言する人たちは私にとってプラスにはならない。また、事実を分析して報じられない人たちは私にとってはプラスにならない」と答えた。そして結局、言いたいことはただ一つだった。「私は無実。何もしていない」ということ。

 ゴーン氏の会見は、社長時代に日産をV字回復させた時のプレゼンを見ているようだった。自信あふれる彼の姿を見ながら、今後の日本との戦いに恐れなど感じていないだろうと思った。それはキャロル夫人も同じだった。彼ら2人は、このままどこに辿り着くのかは分からない。

 会見終了直後、最前列で夫の会見を見守っていたキャロル夫人に「日本で出た逮捕状について、いまの心境を聞かせてください」と聞いた。

 キャロル夫人は硬い表情でこう一言だけ答えた。

「日本の司法は残酷よ」──。

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ゴーン被告、会見で自らの潔白主張

 去年、日本から逃亡した日産の前会長、カルロス・ゴーン被告がレバノンで記者会見を行い、自らの潔白を主張、「人間としての扱いを受けなかった」などとして、日本の司法制度を批判しました。

 日本時間の8日午後10時ごろ、ベイルートで開かれた会見で、ゴーン被告は逃亡後初めて公の場に姿を見せました。会見は招待制で、ほとんどの日本メディアは参加できませんでした。

 「私は正義から逃げたのではない。不公正と政治的迫害から逃げたのだ。私自身と家族を守るために、ほかに選択肢がなかったのです」(カルロス・ゴーン被告)

 会見でゴーン被告はこのように述べ、逃亡を正当化し、自らの潔白を主張しました。一方で、逃亡方法については言及を避けました。

 「なんの罪に問われているのか、はっきりとした理解も得られず、私の人権と尊厳を侵害するこのこじつけの証拠にアクセスもできなかった」(カルロス・ゴーン被告)

 さらに、ゴーン被告は「人間としての扱いを受けなかった」などと日本の司法制度を批判しました。

 また、今回の逮捕・起訴は日産と検察が共謀した「陰謀だ」と主張し、背後にいた人物として西川前社長らの名前をあげました。一方で、同じく実名を明らかにするとしていた日本政府の関係者については、レバノン政府に配慮して言わないとしました。
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ゴーン被告会見への反応 逃亡の経緯語らず失望の声

 カルロス・ゴーン被告がレバノンで行った初めての会見で、日本からの逃亡の詳細が語られなかったことに海外メディアからも失望の声が上がっています。

 アメリカのCNNは速報でゴーン被告の会見を伝えました。そのなかで最大の関心事はゴーン被告が日本からどう逃亡したのかだったにもかかわらず、会見では一切、触れられなかったとしました。また、ゴーン被告が書類を示しながら説明したことについて、CNBCは「世論を味方に付けるためには非常に効果的な戦略だった」と評しています。一方で、ニューヨーク・タイムズは「文字が小さく、何が書いているのか読めなかった」と効果を疑問視しています。そのうえで、「ゴーン氏は新商品を売り出す企業のCEO(最高経営責任者)として振る舞っているかのようだった」としました。

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ゴーン被告 朝日、テレ東を会見に入れた理由「事実を報道できる」 現地の安藤優子は…

レバノンに逃亡した日産自動車前会長カルロス・ゴーン被告(65)が8日午後10時からベイルートで会見を開いた。

 世界中が注目する中、会見場に姿をみせたゴーン被告はダークスーツに赤のネクタイ姿。厳しい目つきで演台に立つと、マシンガンのように語りはじめ、「1年前、自分に罪がないことを訴えたが、手錠をかけられ、無期限で独房に入れられた」「国連が定めた正義にもとる。地獄のような体験だった」と日本の検察批判を展開した。一方的に約70分、喋り続ける展開となった。

 現地には多くの日本メディアが集まったが、大半は会見場に入れず。朝日新聞、テレビ東京、小学館などが参加を認められた。

 小学館記者から、なぜ一部日本メディアを招かなかったのかと聞かれると、ゴーン被告は「私は日本メディアを差別していない。日本のメディアだけを閉め出したわけでない」としたうえで、「あなたが参加できているのは、客観的な見方ができる方と判断されたからです。正直に言って、プロパガンダを持って発言する人たちは私にとってプラスにならない。事実を分析できない人たちはプラスにならない」とした。

 「BBC、CBS、NBC、多くの国際的メディアを招いた。こうしたマスメディアは客観的に報道できる、事実を報道できると思ったからです」と述べた。

 この日のフジテレビ系「直撃LIVE グッディ!」では、キャスターの安藤優子が休演し、レバノンへ向かったと説明があったが、同局が会見場に入る許可は下りなかったもようだ。
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ゴーン被告「私は、日本社会の一部になったと実感」絶頂期の言葉 「フェアレディZ」復活で自信のコメント



 レバノンの首都ベイルートに姿を現した日産自動車の前会長カルロス・ゴーン被告が、日本のメディアに名前が出たのは21年前のことでした。その時から「コストカッター」として鳴らしていたゴーン被告。2004年には「私が、日本社会と日本の自動車産業の一部になったと実感している」とコメントもしていました。当時の報道から、絶頂期のゴーン被告を振り返ります。


1999年、初めてその名が報道
朝日新聞の記事に初めてカルロス・ゴーン被告の名前が出てくるのは、1999年3月28日の朝刊です。記事では、「ルノーでリストラに手腕をふるった」と紹介されています。

<ルノーでリストラに手腕をふるったカルロス・ゴーン副社長が、日産の社長と副社長の中間に位置する最高執行責任者(COO)に就任するほか、ルノーから二人の幹部を日産の商品企画担当の副社長と財務担当の常務に迎える。塙社長はルノーの取締役に就任する。――1999年3月28日/日産・ルノー、提携発表 世界4位グループに 11分野で共同事業/朝日新聞から>

1999年4月12日のアエラでは、ルノーでの「コストカッター」ぶりが大きく取り上げられました。

<九七年、今後三年間で四千億円のコストを削減する計画を提案したゴーンは、ルノーのすべての部署に過酷な経費節減を要求した。九八年度には、自動車一台当たり七万七千円のコスト減を達成。九八単年度では、八十八億フラン(約一千七百六十億円)の純益を生み出すまでに回復した。――1999年4月12日/再生のカギ握る辣腕副社長 日産・ルノー提携/アエラから>

当時から、会社同士の提携よりも、ゴーン氏の移籍に注目は集まっていたようです。同じくアエラの記事でゴーン氏は「ルノー再建の立役者」という表現で評価されています。

<六千四百三十億円で日産自動車の株式の三六・八%を購入したルノーだが、提供した財産は資金だけではない。カルロス・ゴーンの移籍こそ、今回の提携で最も注目すべきことだともいえるのだ。――1999年4月12日/再生のカギ握る辣腕副社長 日産・ルノー提携/アエラから>
野球観戦も記事になる男
実際に来日すると、ゴーン被告への注目はさらに高まりました。

1999年8月6日の朝日新聞の記事では、都市対抗の日産自動車と東芝の試合を観戦したゴーン被告の様子を伝えています。

<サッカーとラグビーの国からきたエリートに、野球はもの珍しかったようだ。七月末、東京ドームであった都市対抗の日産自動車と東芝の対戦に姿を見せ、試合やチアリーダーらの応援を興味深く見た。試合後には日本語であいさつするサービスぶり。「野球を見たのは初めて。でも、なかなか躍動感があるね」――1999年8月6日 カルロス・ゴーンさん 日産自動車の最高執行責任者/朝日新聞から>

ゴーン被告のまわりは常に報道陣が取り囲む状態でした。来日直後から「モーレツ」な働きぶりだったことも伝えられています。

<朝七時すぎには出社し、一人住まいをしている都心のホテルに戻るのは、たいてい深夜だ。――1999年8月6日 カルロス・ゴーンさん 日産自動車の最高執行責任者/朝日新聞から>
「モーレツ」な仕事ぶり「セブンイレブン」
ゴーン被告の言葉として当時、広まったのが「リバイバルプラン(再生計画)」。発表から1年後、さっそくその結果が現れます。

<二〇〇一年三月期決算では、過去最大の当期赤字を計上した二〇〇〇年三月期決算とうって変わり、バブル期を上回る同社にとって過去最大の当期黒字になる見込みだ。――2000年11月8日 日産の最高益 ゴーン氏の創造的破壊 井上久男(ニュースの視点)/朝日新聞から>

記事では、回復がゴーン被告の「強烈なリーダーシップのもとで進められた」と伝えています。「モーレツ」な仕事ぶりは変わらず、ついたあだ名は「セブンイレブン」とも。

<ゴーン氏のあだ名は「セブンイレブン」。午前七時から午後十一時まで働くことからついた。課長クラスでも優秀だと思った社員とは直接、話をする。「リバイバルプラン」の原案を策定した各チームの若手管理職とは一緒に食事をし、議論もした。黒字化の大きな要因となった購買コスト削減では、ゴーン氏と担当チームが何回も直接やり取りをし、三カ月足らずで計画をまとめ上げた。――2000年11月8日 日産の最高益 ゴーン氏の創造的破壊 井上久男(ニュースの視点)/朝日新聞から>
フェアレディZ復活を決断
2002年には、復活の象徴としてスポーツカーのフェアレディZを13年ぶりにフルモデルチェンジして発売しました。

会見でゴーン被告は、日産に入る前からフェアレディZだったと明かし「日産の再生を具現化したシンボルだ」と自信を見せていました。

<業績低迷期にいったん生産中止に追い込まれたが、仏ルノーから派遣されたゴーン社長が「ブランド力の回復に貢献する」と主張して復活を決めた。価格は300万~360万円。69年発売の初代から5代目に当たる。丸みをもたせて外観を一新し、排気量3・5リットルエンジンを搭載した。米国でも同時発売し、初年度は全世界で4万2千台を売る計画だ。日産の経営に加わる前から「Z」ファンだったというゴーン社長は、発表会見で「日産の再生を具現化したシンボルだ」と述べ=写真=、日産にとって課題となっているブランド力の復活に役立つことを期待した。――2002年7月31日 日産のカオ「フェアレディZ」復活 ブランド力回復かけ13年ぶり/朝日新聞から>

2兆円の有利子負債完済、藍綬褒章を受章
2003年、2兆円あった日産の有利子負債を完済します。6月にあった株主総会で「今後も成長を続け、経営を革新する」と発言したゴーン氏。役員報酬の総額を約3割増の「年20億円以内」に増やすことも決めていました。

<日産の総会は午前10時から東京都内のホテルで開かれた。4年前は約2兆円だった自動車事業の実質有利子負債をV字形の急回復で完済し、1株当たりの配当も前期より6円多い14円に増やす。入場する株主からは「株主重視は喜ばしい。よく頑張った」(70歳の男性)などの声があがった。カルロス・ゴーン社長は「今後も成長を続け、経営を革新する」と発言。取締役の定員を減らし、役員報酬は同社株価や実績に連動させる「成果型」を強め、総額を約3割増の「年20億円以内」に増やすことを決め、去年と同じ約3時間で終了した。――2003年6月19日 株主総会、明暗二分 日産は役員報酬3割増、NECは無配を陳謝/朝日新聞から>

そして、2004年、ゴーン被告は外国人経営者として初めて、公共の利益に寄与した人に贈られる藍綬褒章を受章しました。その時、ゴーン被告は「私が、日本社会と日本の自動車産業の一部になったと実感している」とコメントを発表していました。

「ゴーンマジック」「奇跡の復活」とたたえられるカリスマ経営者。16年後、衝撃的な国外逃亡をするとは、誰も想像もしない「絶頂期」の姿でした。

<外国人の企業経営者としては初の藍綬褒章。「私が、日本社会と日本の自動車産業の一部になったと実感している」とコメントを発表した。日産自動車に乗り込んで来るときには、「コストカッター」と警戒された。系列取引を見直し部品や鋼材の価格を引き下げた手腕は、「ゴーンショック」とも言われた。だが、もたらしたものはショックだけではなかった。経営目標を具体的に数字で示し、達成できなければ辞めると「約束」。自らを追い込むとともに、社員の意識を変えた。自動車メーカーでは唯一のベースアップで報いた。16歳でレバノンからフランスへ渡り、技術系で最高峰の国立理工科学校を卒業。「経営は実戦で学ぶもの。経営者は経験の中で育つ」がモットー。50歳。――2004年4月28日/春の褒章、869人8団体に/朝日新聞から>
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参考

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地方からの「視点」

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